天井絵

高野山観光

高野山開創1200年

阿弥陀如来

 高野山は、紀伊半島紀ノ川の南方に位置し、蓮の花びらのような八葉の峰々に囲まれた平原の聖地です。 弘法大師は、弘仁7年(816)に真言密教の根本道場とするため、嵯峨天皇に高野山下賜の請願を上表されました。
 これにより、嵯峨天皇から許可を賜り、七里四方の山林が弘法大師に与えられました。
 高野山の真言密教の聖地としての歴史はここから始まります。
 高野山を開創された最大の理由は、真言密教の修行道場の建立でした。 都の賑やかさを離れ、大自然に囲まれた深山高野の地こそが真言密教の修行に最適な場所だったのです。
 また、弘法大師はこの地を、自ら入定(永遠の瞑想/禅定)の地と定め、承和2年(835)3月21日「虚空尽き 衆生尽き 涅槃尽きなば 我が願いも尽きなん」(この世に身を留め、未来永劫に人々を救い続けます)との壮大なご誓願のもと、高野山奥之院に入定されました。
 高野山金剛峯寺は高野山全域を総称する山号寺号でした。高野山の中でも信仰の中心となる聖域が、檀上伽藍と奥之院です。 弘法大師御廟のある奥之院は、一の橋から約2キロの参道に樹齢数百年もの杉木立があり、20万基以上ともいわれる名だたる武将、諸大名をはじめ多くの方々の墓碑が建立され、弘法大師の遺徳をたたえています。
 また、数々の堂塔が立ち並ぶ壇上伽藍では、天保14年(1843)に焼失した中門の再建を計画しています。 弘法大師の密教伽藍構想の根本は、高野山の総本堂にあたる金堂の正面に中門を配し、金堂の後方左右に金剛界・胎蔵界の両部曼荼羅を表す西塔と大塔を配置することでした。 中門の再建は、弘法大師が構想された修行道場としての伽藍整備事業のみならず、弘法大師のご誓願を実現するために最も重要な事業です。
 高野山は開創以来、多くの僧侶が修行し、教えと文化を継承しています。 現在、117の寺院と商店とが一体となった町が形成され、52の宿坊があります。 宿坊での勤行、精進料理、写経や瞑想の修行体験。また、5万点にも及ぶ収蔵物を有する霊宝館では、1200年の歴史や文化に触れて頂く事が出来ます。
 来る平成27年(2015)は、悠久の星霜を経て高野山開創1200年に相当いたします。同年4月2日から5月21日まで50日間「生かせ いのち 大師のみおしえ いまここに」のテーマのもと、高野山開創1200年記念大法会を執り行います。








高野山見どころ

高野山地図

弘法大師空海さまが、真言密教の根本道場として、高野山を開創したのは、今から1200年も昔でした。 周囲を内八葉・外八葉の峰々に囲まれた、海抜1000mの山上の盆地は、東西6km、南北3km、周囲15kmの広さがあります。 聖地の清浄な大気の中で、他では得られない心の「やすらぎ」を覚えます。